忘れてしまったのか、再創造なのか

littoral2007-07-26




大江健三郎の『読む人間』を読んで、ある個所にひっかかる。
第一部7章「仕様がない! 私は自分の想像力と思い出とを、葬らねばならない!」で語れる『憂い顔の童子』の最初と最後で反芻される記憶にかかわる。「私」=古義人が五歳のとき、「川で溺れかけた」体験だ。作家自身が引用している個所を、そのまま紹介する。

瀬が――急流、早瀬です――大岩にぶつかってできた深んど――深いところ――に潜ると、岩の裂け目の奥にある明るい場所に、ウグイの群れが流れにさからって泳いでいる(……)ある朝決心して、瀬の上から流れくだり大岩にへばりついた。小さな裸を逆さまにして岩の裂け目を覗き込む……次の瞬間、頭頂と顎は岩にくわえ込まれた。ジタバタしている自分。そして酷たらしいほど力強い腕が両足を掴んでひとねじりし、自由な水のなかに戻してくれた……

これを、大江健三郎は「だれが救ってくれたのかについては、この段階では子供自身にもよくわかっていなかったこととして、書いていない」、しかし作品の最後で、「頭に負傷して気を失っていた主人公が――もう彼は老人ですが――かつて気を失って、そして気がつくと頭に大きい苦痛を感じていた、その子供のときの経験を思い出すシーンが大きい役割を持っています」といい、やがて「あれはどうも母親が自分を助けてくれたのらしい、とわかって来た」という。
しかしこの記憶は、そのまま『新しい人よ眼ざめよ』の「怒りの大気に冷たい嬰児が立ちあがって」に使われている。しかもそこでは、最初から、「ミョート岩の淵の深みで、僕をいったんはウグイどもの巣に罰するように押しこんでから、引きずり出してくれたのも母親ではなかったか?」と記されている。つまり『憂い顔の童子』では、幼年から老年まで、母親の行為とは分からないように書かれているものが、とうの昔に書かれた『新しい人よ眼ざめよ』では、当初から、母親が救ったことが告げられているのだ。
『憂い顔の童子』を読みながら、この『新しい人よ』の個所を思い出すと、溺れかけて救われたという挿話を母親につなぐ手続きが、継続的な大江の読者には分かってしまって、効果がないのではないか、そのとき作者は、自らがかつて書いた同じ光景のことは忘れているのか、それともそんなことは百も承知で、同じ光景に新たな意味を付与したいものなのか。『新しい人よ』は、だから『憂い顔の童子』の結構をあらかじめ台無しにしている。
読む人間 憂い顔の童子 新しい人よ眼ざめよ (講談社文庫)